迂回であったが、改善されて「関係者」は通行できた。海水浴場付近は漁業者によるガレキの回収
も行われており漂流物等の回収も進んでいた。
小生チームは浜砂の中のガラス片や小金属片の回収に重点を置く作業となった。
迎えてくれた方は・・・やはり「想像のレオ」だ。よく見ると頭頂に盃が・・・・神、いや波の仕業か・・

「長床」やツワモノのどもが夢の跡・・・(注釈・ナガドコとは、例大祭などの前夜に氏子総代
関係者たちが本殿のそばに下準備や休憩のために作られた社務所とは異なる建物である。と推測
される。)その会合や打合わせのあと・・・必然的に酩酊する「ご仁」もある。の図
「力神石」にまつわる解説の立て札で不届き者がおったようである。西舘様には感謝。不届き者には罰を・・・・
その上部から見た鳥居も悲惨な状態であった。心が痛む・・・・・・
幸いにも、その「力神石」様や現荒神社以前と推測される「小室堂」は、ほぼ無傷で現存していた。
その一部の石柱(石門扉)には、折笠村の「昆 仁兵衛」殿の寄進による記銘ありて・・・・
上の図はその小室堂ウラからみた吉里吉里半島「野島」がかすんで見えた。
その位置から漁船の「道しるべ」となるべき灯標や遊歩道の損傷が見受けられる。
この光景や現状は「僕は・・忘れはしない、遠く過ぎ去るものに・・・」になるか。
明日に向かって走れ・・・福幸に 合掌! jun.m