2013年06月04日

「山田地区」みちのく潮風トレイルサポートW

平成25年3月14日ついにこの地区のラストランとなる。
一里塚の道標から調査のスタートだ。馬指野集落を過ぎて橋を渡り400m進みここに来る。
ここまではスタッフ「ヒロコ」の運転する車輌だ。
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「萩野ノ平」一里塚への道標がある。萩野と平のあいだの「ノ」の表示は幼い昔からそのように教えられていたのであえて表記した。文献では「ノ」はない。
幕府の施策により当藩でもその行程を藩内に設けた。宮古御水主町(現宮古市)から大槌に至る9ケ所のうち山田には(石峠・田名部・間木戸・龍泉寺・萩野平)の5ケ所があり岩手県内でも稀有な史跡として残る。
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初日の調査で(小谷鳥海岸)に置き忘れた「デジカメ」はスタッフが回収したのでここからはバッチリだ。
山田町は治安がマイデよろしい。大都会ではありえない。忘れ物、失せもの、などほぼ持ち主に帰るのだ。
NPO問題を除いてだが・・・
道標のとおり進むと分岐がすぐある。まもなく始まるシイタケの栽培のための「ホダ木」
原木の伐採だ。
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左側はかつての畜舎の(推測)跡地であるこれを見て右へとること。
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ホレボレするような「ナラの木」がゴロゴロ横たわる。落葉期に伐採すると切り株から幼芽が春に出て再生していくのだ。少し進むともう一つ道標がある。
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「史跡萩野平一里塚」とある右側の松と杉の混じった林間を指している。
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すこしわかりづらいが30〜40m位進むと小高い墳墓に似たミニチュア風の塚がある。
当時は槻木(ツキノキ)やケヤキなどがその頂(イタダキ)に植えられたそうな。小生が小学生の遠足コースの時代には萩野ノ平は牧野のイメージでここには松の木などは山手にあった程度。と記憶している。
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塚へまい進するスタッフ(uedakun)若干ヤブコギだ。
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これの確認の後にヤブコギも抵抗があるのですぐ南側にあるキノコの栽培地を近道した。
この時期は農閑期だから容認されると思うが、普段はもと来た方向へもどること。
 李下にカンムリを正さず。ウリの畑に履き物を入れるな・・・・だ
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ルートに戻るとすぐに分岐があり丁寧に作られた道標がある。
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ヤマクジラの肉が2.4kgて゛森のロリータ店にて販売中!!ではない正しくは教科書のように右読みすること・・・・右手に進む
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すこし進むと小川を渡る左へのキノコ栽培地、直進する作業道と右手側への3ースがある。
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良く周囲を見ると右手に同様の道標があり右手へ進む。どう見ても小さな尾根を切り拓いた道だ。
つまり切通しだ。馬が通れる道幅である。
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同様にオランダ街道と名付けた道標もある。
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それにしても先人の努力が偲ばれる。
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画面の右上部に道標がある。歳月を経て道の両サイドが崩れている。しかしトレイルにはなんら不都合はない。
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この小ピークを越えて左手に石碑と出会う。
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右から天明年間 劔 當 〇 没禅定門 百五十年期 供養と彫られてある。
※〇は読めない文字
サイズはおおよそ縦(一尺五寸、横幅は一尺か) 
宝暦・明和・天明までの30数年間で「劔 當」や「禅定門」の彫りがあるのはこの地方の道普請に壮絶な努力をした人に限られる方の碑。鞭牛和尚のみである。(1,782年没)この年から150年期と仮定すれば数え年で1,931年(昭和六年)の建立だ。織笠馬指野の方が供養のために
ここに建立したか・・・・・
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この小さな流れを渡り右手に進むとすぐに
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ケヤキの古木があった。すでに天命は全うしている。山田町保健センターが作成した
HEALTHY GROW YAMADA 「健康の道」と題したハイキングコース
のひとつにこのコースも存在していた「鯨山ハイキングコース」である。
 その中には「矢立の滝」の紹介もある。その昔織笠の館神に城があったころ大槌から
鯨峠を越えて敵が侵入してきた。これの防御のため矢を放ったところ七滝のそばにある
ケヤキに当たり突き刺さったといふ。その矢は、つい最近まであったそうナ・・・・。
でもって矢を探すが無い・・・・・
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これは来たルートを振り返ったものである。緩い斜面を来ている。
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分岐だ直進は「滝」へ左は鯨峠となる。この境界には石を取り除き歩き易くして積み上げて
ある感じだ。
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「矢立の滝」へとある。
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少し歩を進めると朽ちた鳥居があった。どの様なものを祀っているか現時点では不明。
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桂(カツラ)の木が付近には多い。
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自然発生した杉の木も混じる。
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このような物体も散見された。そういえばこのルートの天空には送電線が走っている。
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水神宮と遭遇する。古くは社殿はなくても「神社」としたそうな。神聖な山、滝、岩、森、
巨木などに「神」が宿るとして敬うのだ。
・・・・・・ここでディスク使用量が限界値を超えた・・・・・・・・再申請するも
日曜日である。 この続きは次週となる。
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と畏敬の念を抱きつつ歩を進めると第二の鳥居が現れた。やはり朽ちてはいるが
この先にある「滝」を祀る参道なのか・・・・・・・
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その構造を参考のためアップに撮った。要所は「ホゾ」で組んである。
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ケヤキの木があちこちにありどれが矢が刺さったのか・・・・などの思いが噴出
してきた・・・・・
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やや急に右手にかかると「矢立」と「七滝」と書かれた道標があり滝はもう
直近だ。
渇水期でもあり水量は多くはないが時節がくれば壮観だろう。
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手前は、やはりケヤキ、向こうがわは「トチ」の木だ。数ケ月もすればこいつの
花の蜜を集めにニホンミツバチがくるカモ・・・・・
蜂蜜ではアカシアとトチの花からのものが小生は大好きなのだ。盛岡と宮古を結ぶ国道106号にある大峠・小峠地区の産出するものが優秀だ。
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この滝の名称が二つある。七滝とすれば大小でも複数は必要だ。この上流にまだ
有るかもしれないなどと次の機会にあらためて調査とする。
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「矢立」の説では射た矢が付近のケヤキの木にとある・・舘神又は立神館から
の距離は直線で4,500mある。ヘラクレスの豪弓でも無理か・・・・
もうひとつは「携帯筆記用具」の形にも似る。私感ではこの滝をみるとこの矢立
の形に見えた。・・・・よく尋ね、よく調べてみること。
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往路ではこの斜面の右下を鳥居を見つつ進んだがルートはこれが正しい。
復路ではこのように道標があった。
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老木の巨人だ。
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鯨峠コースへ戻り15~20分も歩くとこの道標に合う。ここまでの間の写真は撮り損ねたが沢沿いに登って
きた。前方に尾根を切り開いた「切り通し」が見えるとすぐ手前にこの道標がある。
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「切り通し」(峠)の東に鳥居があるというのを想い起し登ってみる。後からくる上田君。
画面には古い鳥居の柱の一部がある。
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そこから南を見る。小鯨や波板不動滝へ下ってゆく道が見えた。
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同様にこの下にコース(切通し)がある。
この鳥居跡から東へ少し進み北側の小沢へ降りると道標からササヤブの中を来る道と合う。
さて、ここで二人で戸惑った。小生のイメージでは鳥居のある尾根を真東に登った記憶が
強くあった。尾根は二つある。一つはこの尾根と沢を境にやや北側の送電線鉄塔がある尾根
だ。ダメモトで見遠しの良い鉄塔まで位置確認の為に電線管理の作業道をゆく。
鉄塔まで来るがルートがあいまいだ。事務所へ電話する。幸い事前に小生のpsにグーグルを
利用してルートをほぼマーキングしておいたモノをスタッフに見てもらう。
やはり、この鉄塔のある尾根を東へ上るのだ。しかし道標が無い・・・・・
付近をよくみるとL字型の鉄製の杭が山側のササヤブとの間にあった。ヒョットしてと
ヤブをのぞくと「ケモノミチ」にも似たルートがあった。
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このヒトの肩までのササヤブ道を進む。
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小生は手ブラだが上田君は両手にグッズで難儀する。
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ハァーハァーしながら登ると間もなくササも低くなり道標があった。ルートは正解だ。
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北(左側)には見慣れた「大沢山〜明神崎(天ケ森)」への稜線が見える。山田湾も・・
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登りもゆるくなってきた。が・・・フンだ・・・それにしても今回も会うなァ・・
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道標がある。
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不動滝とあるのが今来た道である
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ついに樹間から電波塔が見えた。
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このルートから少し左にズレテ小ピークがある。
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社があった。
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頂上にある社とは別にある。初めて気付いた。
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裏面に文字が彫られているが小生には判読できない。
 そういえば馬指野集落に石碑群があってその一つに「鯨山神」というものがあった・・・・
これはその本社かもしれない。頂上の社はその奉納した方々の氏名は吉里吉里とか大槌の方が
多い。想像だが大槌地区と山田地区とで別に「ヤシロ」を祀っているのかもしれない。
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登ってきた往路を見る 高滝森の山容と遠くには片羽・遠野三山の六角牛の山々が見えた。
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電波塔は目の前だ。
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その管理棟の外柵(フェンス)の右(南)端へルートは続く。
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その右側面を進むノダ。
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その端(ハシ)に鯨峠と小鯨・不動滝への導標がある。今回のルート。
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この導標を南に見ると大槌湾の方向が見える。
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粋なはからいで冬季の天候急変のときの雨宿りのためか解放されている。
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その対面する方向に頂上へのコースがある。
この駐車スペースへは不動の滝から車両でくることも可能だ。(車種にもよるが)
セッコギコース」ともいふ。左手へ巻くようにルートは続く。
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やはり第二電波塔のフェンス右側をルートは続く。
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ここの右サイドを通り抜け本コースとなる。
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ルート補助のロープなどの幾つかのサポートがあり頂上に着く。
 残雪はいまだに固いが表面のみだ。ドフドフと所によっては踏み込んでコケル。
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頂上からの吉里吉里(大槌町)と野島を望む。
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一見、素晴らしい景観だが幾度か見た小生にとってはかつてのものとは異なる感がする。
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これは船越半島の南端とタブの大島(船越大島)だ。
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やや北側の船越半島だ「田の浜」地区の集落が見える。往古から歴史のある集落だ。
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2013年に今後の震災のダメージ緩和のための施策で半島西寄りを周回(迂回)するライフライン道路が計画された。このルートには「埋蔵文化財」や「史跡」がある可能性が高い。この4月にここを含めて間木戸・澤田・佐々木漁業部の上部などいたるところで調査がなされている。
小生の同級生に地区のインフラと文化財の保護の両方に係わる役目のヤツもいて辛い心情を吐露した。合点だ。
それにしてもこの眺望はどこまでも「青い空」と「碧い海」が続く・・・・・・・
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二人で記念撮影をする。
たかが3日間、されど3日間の調査が完結する。この先はかつての大沢コースへ下る。
開花までは早いが「イワウチワ」を愛でるコースだ。
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想定したとおり昨年の落葉に守られて開花を待つ。
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やがて、「青少年の家」が眼下にも見えてきた。
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「健康の道」と題した道標もある・・・・
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緩斜面になり分ギは間近となる。
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左へは「押立て岩」への新田コース、直進は再度登りとなりナントカのコース、右は初日調査の大沢コースとなる。ジオパークやエコなにがし、など多様なメニューが計画され地方紙の岩手日報でも紙面がにぎわうことも多くなった昨今である。
 それはともかくとして「盛者必衰」のたとえのようにメディアに翻弄されないものがたくさん山田の地に有することを再考願いたい。
・・・合唱・・・・jun.m
 


 

























 














 
posted by 鯨と海の科学館 at 23:08| Comment(1) | みちのく潮風トレイル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月18日

トレイル調査サポート-V(霞露ケ岳)

2013-03/28アップした計画の調査区-Cに入った。
調査日程では第二日目(2013/03/13)
船越半島を時計まわりに大浦集落まで行く。秀全堂を右に見てさらに小根崎
コースへの林道を進む。漉磯集落への林道へは入らずにさらに進む。
やがてこの小根崎コースのルートから途中で右手に入る作業道に進むこの
ルートは地図で見てもあいまいであるのとメッツの要望もあって実施した。
山田湾を背中に見る感じである。
霞露ケ岳@.JPG
当協会スタッフの車両で行けるところまでゆくが数百メートルで崩落があり
ここから徒歩となる。想定内だ。(am09:54)
運転をお願いした沼崎君とは漉磯浜へ下山後落ち合うことにして
しばしのお別れだ。
霞露ケ岳A.JPG
蛇行しながら植林された杉の林間を縫うように作業道を歩く。
霞露ケ岳B.JPG
やや開けたヶ所で直径5mもある巨岩と出会う。衛星画像でも確認可能な
大きさだ。
霞露ケ岳C.JPG
チェツクする上田君。
霞露ケ岳D.JPG
それにしてもこの大きさ。(am10:25)
霞露ケ岳E.JPG
 雰囲気は山林の管理のために作られた道だ。
霞露ケ岳F.JPG
と思いつつ歩を進めると「記憶」にある風景が現れる。
霞露ケ岳G.JPG
ヒョットして・・・・
霞露ケ岳H.JPG
やはり左は東で頂上へ、右は漉磯集落から第一番目の鳥居をくぐって来る西からの参道だ。
下山のときはこの第二の鳥居を過ぎると(いま来たルート)に入りたくなる。
霞露ケ岳I.JPG
上の写真が第一の鳥居(参道の入口)方面だ。
霞露ケ岳J.JPG
この直近に頂上への案内版がある。(1.0km)
 この距離がライトかヘビーと思うかは体験してみないと・・・・・
下山ではライトなのだが・・・・
霞露ケ岳K.JPG
赤松と混じるコナラやミズナラの落葉樹の林をエッチラ・オッチラ登るとブナの
植生が徐々に増えてくる。
霞露ケ岳L.JPG
この日は想定していたとおり天気模様が芳しくない。空がスッキリしない。゛
霞露ケ岳M.JPG
 頂上へ続く尾根にはいまだに残雪があった。踏み跡とがあり数日中に訪れた方もあったか・・
(am11:40)
霞露ケ岳N.JPG
頂上前の小ピークを越えて尾根の右側(南西)をトボトボ進むと頂上直下にある
霞露ケ岳神社に参拝する入口が見えた。なぜかヒノキに似た木もある。
霞露ケ岳O.JPG
現地調達と思しき石段が本殿(社)へ・・・・・
霞露ケ岳P.JPG
それにしても信仰というパワーは尊敬する。
霞露ケ岳Q.JPG
 剣が奉納されている。
 この由来の解説はのちに述べるとして頂上へ・・・・・
霞露ケ岳R.JPG
 社から右へ抜けると山頂が見えた。
霞露ケ岳S.JPG
(am11:50)山頂で記念撮影となった。ガッツポーズの上田君。片手に調査表、右手は携帯電話やgpsだ。
七転び八起きでここまできた。これは明日の鯨峠でも見られるだろう・・・・・
 あいにく見通しは悪いが西には山田湾・北には川代や石浜(宮古市)が見える。
ここから下って漉磯浜を目指す。
霞露ケ岳21.JPG
頂上にある案内板の右奥(北東)が小根崎コースである。
このコースも魅力的で四月下旬にはバイカツツジ(梅花ツツジ)が散見され
15mm程度の花が可愛いい。秋にはホツヅジが咲く。
霞露ケ岳22.JPG
下山にはいる。すぐ下の道標は右にゆくと社の前を通過して参道
(先ほどきたコース)となる。左は漉磯浜へのコースだ。
霞露ケ岳23.JPG
ややしばらくアップダウンのコースには「ブナ」の植生が見られる。
 海岸から数百メートルの場所でこのようなブナの原生林に会えるのは
稀だ。世界遺産とまではゆかないが「山田遺産」にでもと思ふ。
 かつてこのブナの本数を確認しようという野望をもった。
夢物語で終わるか・・・・・
 霞露ケ岳24.JPG
このような尾根筋をトボトボと行く。
霞露ケ岳25.JPG
この小ピークを越えるとほぼ下りとなる。
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間もなく赤平金剛のトップとおぼしき場所だ。崩落が進んでいる。(13:25)
霞露ケ岳27.JPG
手すりも劣化が見受けられるので慎重に歩行すること。
霞露ケ岳28.JPG
ときとしては自然石を利用した石段もあるが全面的に信頼しては
いけない。最下段にはやはりピンク色の管理番号が付されてある。
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断崖の樹間からは岩礁がみられた。通称は「御門口」と呼ばれている岩だ。山田湾と
船越湾間の観光定期船では定番のコースであった。奇跡的に回収された当館の
スリーディーのディスクの空撮映像に「御門口」が登場する。
「海からの贈り物」と題して残る。
霞露ケ岳30.JPG
チョイ下ると漉磯海岸のやや南にある「七つ洞」だ・・・・・
波の浸食で磯に無数の大穴がある。
沿岸地図ではここを指すが地元の漁師さんがもう少し南側だと
話された記憶が残る。そのずっと先が「大釜崎」か・・・・
霞露ケ岳31.JPG
この海岸線は最東端でもあり船舶の往来が多く「海の銀座」とも呼ばれる。
タイミングがよければ「サンフラワー」にも逢えるのだ。
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漉磯浜へもう少しのところで倒木を切り歩行ルートを確保している。
 ここで待ち合わせのスタッフへ連絡を取るが携帯電話はどのメーカーも
outであった。シマッタと思う。頂上でのほうが割合に通信環境はよろしい。
霞露ケ岳33.JPG
ついに浜へとうちゃこ・・・降り口を臨む・・・(14:13)
川を渡りこちらへ来たが本来のルートは渡る前に上流側にあったのだ。
巨岩にペイントされた指図されたとおり左岸をやや登り木橋を渡り舗装された
道に至る。しかし津波でこの橋は消滅している。かすかに橋梁というか橋を支える
コンクリートの基礎が残るのみである。初めて来たときはこの橋の下にはダイモンジ
ソウがあったのを記憶している。それも完全に消滅した。追記・20014-06-19残存確認
霞露ケ岳34.JPG
頂上を降りるころからポツポツ来ていた雨は小康状態であるが低気圧
の影響で海は吠えていた。
霞露ケ岳35.JPG
この波が岩礁のカケラを丸くしてゆくのだらう。あまねく全てのものが
丸くなるようにと思いつつスタッフの車でここに別れを告げた。
霞露ケ岳36.JPG
大浦小からの往路では漉磯地区「椎茸生産組合」の施設を過ぎ左へ
とり参道コースへ行く。浜からは右折となる峠道だ。
峠に近づくと右手に旧字体で霞露ケ嶽の道標と第一の鳥居がある。
付近には駐車スペースがあるので利用されたい。この鳥居を過ぎ
第二の鳥居(午前にとりついた場所)のほんの手前である。
この中間に旧参道の一部とおぼしきルートがあるが不明瞭だ。
峠へ戻り唯一の民家を過ぎるとすぐに左手に・・・・・
霞露ケ岳37.JPG
これだ、大浦集落の霞露ケ岳神社(里宮)からダイレクトに真東へ秀全堂をとおり抜け
ここへ来るルートだと確信した。
ここで町の水産商工のAkasaki君と自然保護官のFukaya氏と調査の同行予定が
急きょ不可能となったことから様子を見にきたとのことで合流する。
霞露ケ岳38.JPG
(15:47)
大浦集落へ戻り「秀全堂」へ・この裏手の山から前述のルートが始まるのだ。
 冒頭に出た「小根崎コース」の最終地点(大網)付近に窟があると言わ
れているがまだ確認はしていない。
 この窟は1,737年(元文二年)智芳秀全禅師が里にある観音堂で入定修行の
後にここでも六月一日から九日その窟に篭り苦行をし再度、里へ戻り入定に入
り同三年六月三十七才で没。
 その17年後(1,755年)道路開削の祖鞭牛和尚がこの地で血書供養をする。
このあたりは「大網沢」という海へ注ぐ水流がある。
漁民の方は通称このあたりを「大網」と呼び古来から良好な漁場としてきた。
また、このやや北側の転石の多い磯一帯を「三蔵畑」という地名で呼ぶ。
 この二人の共通点に手段は異なるが一般民衆の幸せを願いつづけ往生した
ことである。
 中国の西遊記に出て来る三蔵法師はあまりにも有名だが実は一般名詞
であり固有名詞ではないのだそうだ。ということは彼らの舞台となったこの
場所(修行した)を三蔵端又は三蔵畑(サンゾウバタ)と呼ぶに違和感は無い。
    ・・・・合掌・・・・jun.michimata

※引用(参考)文献   山田町史年表  p-74
〃   上巻  p-1042〜

追伸  今回のルート図 赤がスタートのルート
 2013-03-13船越半島図.JPG
黄色が既存の調査ルート  グリーンは車両で移動したルートである。
 分岐(ポイントの写真入り)が載るお手製のマップは「道の駅やまだ」の
案内所でご覧ください。


















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2013年04月26日

山田地区「トレイル調査」サポートU

2013-03-12(火)午前中の旧タブノ木荘〜小谷鳥浜へのルート調査を
終えて「道の駅やまだ」にてランチタイムとなる。
 一汗も二汗もかくと塩分がほしくなる。といふことで旬のメカブ入り
ワカメラ-メンとなった。上田君はチャーシュウともう一つのメニュウを
いとも簡単にたいらげる。
ランチを終えて小休止の後に織笠新田コース〜鯨山の東山麓の十文字分岐
を越えて大沢コースの調査第2ラウンドとなる。
当協会スタッフの車でスタート地点に着く。早速に写真をとカメラを探すも
無い・・・・午前の終了地点である小谷鳥海岸へ一服のときに置き忘れた。
 ということで携帯電話での撮影のため画質は劣るのでご容赦を・・・・
2013新田-1.JPG
2012-5-4アップした「鯨山」春の野草にて紹介した「牛頭天皇」のお社を
過ぎてまもなくの左手へのルートです。
2013新田-2.JPG
すぐそばに鯨山登山コース織笠小学校と記された
道標がある。
2013新田-3.JPG
やや先に進むと右手に農作業のための小屋らしきものがある。
2013新田-3.JPG
その先をさらに進むとこのような林道をしばらく歩くこととなる。
2013新田-3鞭牛の碑-2.JPG
やがて左手の小さな沢沿いに大きな石碑があらわれる。
明和二年 道供養林宗六世 二月廿八日 と彫られてある。
彼の道普請(ミチブシン)の異業はこの年を含めて山田地区だけでも四ケ所だ。
@宝暦十年(1,760年)船越村山之内の難所を開削。
A明和二年(1,765年)飯岡村から織笠に越える村境の坂板峠の難所の開削。
B 〃        このコ−スである織笠から新田峠を越えて大槌の大沢
           にでる難所の開削。中道とも言れている。
        ※この碑が「茂兵ェの押立石」とも呼ばれて鞭牛碑のなかでは
         最大であり縦横2メートルもある。
C 〃四年(1,767年)織笠川に架橋。この頃になると大槌〜吉里吉里〜四十八坂〜
           船越〜織笠〜飯岡〜山田に通うルートができる。
  ※下線の坂板峠は後に「三本小松」とも称ばれるが境田の名の由来か。
2013新田-4.JPG 
独断で名を付けた十文字(推測では新田峠)を越えて林道を大沢という沢沿いをくだる。
10分位でこの林道を左に外れるとまさしく旧街道らしくなる。
2013新田-5.JPG 
さらに進むと前段の「押立石」にもヒケをとらない巨岩が屹立していた。
よく観察するも文字らしきものは彫られていないがルートの目印には
往古から役立っていたに違いない。
2013新田-6林間目印.JPG
巨岩を過ぎ小さな流れを横切ると杉の林内へルートは続く。
2013新田-糞7.JPG
林内はやや薄暗いが歩行には差し支えない。が・・・・・糞だ・・・・・
踏んではいけない。
 2013新田-8林間8.JPG
 林内にはルートを示す黄色のテープが杉に貼られているがその位置が高く
見落とす可能性もある。
2013新田-9.JPG
エッチラ・オッチラ下ると再度林道(作業道)と出逢う。これは振り帰って撮った。
左の矢印は作業道のゲートを示す。一般者は歩行禁止である。
これをさらに下るとシイタケの栽培地をとおり青少年の家の真下にある
「船越第3仮設住宅」に着く。 山田町で「大沢」といふ地名は二つある。
ひとつは湾北部にある旧大沢村とここの沢の名称にもなっている。
現在も大槌町と山田町との行政区境界である。
この沢の流れは海へそそぎ第一種共同漁業権(漁具を海中に敷設しない
でウニ・アワビ・海藻の類を採る漁業を営む権利)ようするに磯漁業でもある。
大槌(吉里吉里)と山田町船越のこの権利の境でもある。
かつては、この沢が街道として利用されたのだ!
・・・・・・合掌・・・・・jun.m
※鞭牛和尚(林宗六世)に関する記述は山田町史(下巻)・同年表・(「牧庵鞭牛の生涯」
伊藤鱗市氏著)を引用した。
トレイル調査第3日(3/14)においても関連した発見があったので報告したい。
 ドントハレ・・・
       





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