下条から浜川目集落に通じる「猫石坂」の左手に新たな「県道41号」が
計画され、それにともなう埋蔵文化財の調査が本年4月から実施されている。
一昨年の10月18日(土)の「浜川目沢田T遺跡」に次ぐ説明会である。
会場数百メートル手前の参加者用の駐車場は、かつて田畑に利用されていたが
盛り土されていた。その奥には、屋号「甚六屋」が祀る稲荷社がある。
工事のため移動されたか位置と向きが若干変わっていた。
会場は、この「猫石坂」を上り浜川目集落西端の沢にある
その奥に西側調査区(社の裏手になる)と沢を跨ぎ東調査区がある。
県埋文センター所長(中村)氏・調査員の北村・佐々木・白土氏の挨拶と概要
の説明があり調査区へ・・・・
西と東はそれぞれピーク(山の頂上)となっていて町内の「発掘調査現場」
では高低差が40〜50メートルとハードな現場の一つである。
調査員や発掘隊員の苦労を垣間見た感じ・・・・・
西側調査区へ
西のピークからは集落の一部と明神崎方向、さらに遠くに霞露ケ岳が・・・
同様に東調査区の一部が見えた。
西の方向には下条・中条・上条・川向〜魚賀波間神社、概FC造船工場のある
金毘羅崎が見えた。
出土した貝類には「アサリ」・「イガイ」・「クボガイ」・「コタマガイ」
「フジツボ」など。ムラサキイガイの表示もあったがこれは現在ヨーロッパから
の外来種であるからして縄文期には棲息していないと思われる。ムラサキインコガイ
が妥当な線カモ・・・・
もうひとつ「コタマガイ」である。これは震災前には山田湾で唯一、小島の出須賀で
しか確認していない。当時は湾の干潟のアチコチに生息していたのだろう。
又、おなじみの「須恵器」・「土師器」・「鉄鏃」など出土している。
面白いのは「釘」、これはまったく和釘に似てしかも和船を造るときの
釘にもそっくりである。さらに、ホ具(かご)と称してバックルの形だ。
解説では馬具を固定するものか鐙(あぶみ)の位置を調整するものと想定
されるとのこと。さらに、大型のカエシのついた釣針(鉄製)で大型の魚類を釣ったか・・
竪穴建物の跡など
貯蔵穴と考えられる土坑
住居跡と工房とみられる。
これらをつなぐための平坦な作業道とみられる(下の写真)

一部しか発掘していないがこの道の先にも遺構が想定されるとのこと。
調査のため伐採された杉の巨根が残る。縄文や弥生時代は落葉樹のナラなど
の樹林帯で食料や製鉄の燃料として調達する好条件がそろっていた。
東調査区から南東方向には船越の岩ケ沢山(通称TV搭)・大浦・霞露の一部と
手前には浜川目の海岸線が望めた。
説明会を終え集落の端に戻ると玉菜(キャベツ)・ニンジン・カボチャが畑で栽培
されていた。縄文や弥生時代にも天災に見舞われながらもヒトは衛営と暮らしてい
たのだろう。
・・・・合掌・・・・Jun.m
説明会資料は下記のとおりです。


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