2016年08月20日

山田町大沢「浜川目沢田U遺跡」

2016-06-AUG 遺跡現地説明会が開催された。
下条から浜川目集落に通じる「猫石坂」の左手に新たな「県道41号」が
計画され、それにともなう埋蔵文化財の調査が本年4月から実施されている。
一昨年の10月18日(土)の「浜川目沢田T遺跡」に次ぐ説明会である。
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会場数百メートル手前の参加者用の駐車場は、かつて田畑に利用されていたが
盛り土されていた。その奥には、屋号「甚六屋」が祀る稲荷社がある。
工事のため移動されたか位置と向きが若干変わっていた。
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会場は、この「猫石坂」を上り浜川目集落西端の沢にある
その奥に西側調査区(社の裏手になる)と沢を跨ぎ東調査区がある。
県埋文センター所長(中村)氏・調査員の北村・佐々木・白土氏の挨拶と概要
の説明があり調査区へ・・・・
西と東はそれぞれピーク(山の頂上)となっていて町内の「発掘調査現場」
では高低差が40〜50メートルとハードな現場の一つである。
調査員や発掘隊員の苦労を垣間見た感じ・・・・・
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西側調査区へ
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西のピークからは集落の一部と明神崎方向、さらに遠くに霞露ケ岳が・・・
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同様に東調査区の一部が見えた。
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西の方向には下条・中条・上条・川向〜魚賀波間神社、概FC造船工場のある
金毘羅崎が見えた。
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出土した貝類には「アサリ」・「イガイ」・「クボガイ」・「コタマガイ」
「フジツボ」など。ムラサキイガイの表示もあったがこれは現在ヨーロッパから
の外来種であるからして縄文期には棲息していないと思われる。ムラサキインコガイ
が妥当な線カモ・・・・
もうひとつ「コタマガイ」である。これは震災前には山田湾で唯一、小島の出須賀で
しか確認していない。当時は湾の干潟のアチコチに生息していたのだろう。
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又、おなじみの「須恵器」・「土師器」・「鉄鏃」など出土している。
面白いのは「釘」、これはまったく和釘に似てしかも和船を造るときの
釘にもそっくりである。さらに、ホ具(かご)と称してバックルの形だ。
解説では馬具を固定するものか鐙(あぶみ)の位置を調整するものと想定
されるとのこと。さらに、大型のカエシのついた釣針(鉄製)で大型の魚類を釣ったか・・
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竪穴建物の跡など
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貯蔵穴と考えられる土坑
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住居跡と工房とみられる。
これらをつなぐための平坦な作業道とみられる(下の写真)
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一部しか発掘していないがこの道の先にも遺構が想定されるとのこと。
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調査のため伐採された杉の巨根が残る。縄文や弥生時代は落葉樹のナラなど
の樹林帯で食料や製鉄の燃料として調達する好条件がそろっていた。
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東調査区から南東方向には船越の岩ケ沢山(通称TV搭)・大浦・霞露の一部と
手前には浜川目の海岸線が望めた。
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説明会を終え集落の端に戻ると玉菜(キャベツ)・ニンジン・カボチャが畑で栽培
されていた。縄文や弥生時代にも天災に見舞われながらもヒトは衛営と暮らしてい
たのだろう。
・・・・合掌・・・・Jun.m
説明会資料は下記のとおりです。
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posted by 鯨と海の科学館 at 12:27| Comment(0) | 史・遺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月24日

一里塚の行方

2013-12-25
巷では、メリークリスマスのLEDが華やかに輝いている。
この日、故あって山田町内の一里塚の一つである、「間木戸一里塚」の記録保存
の調査報告に参加させていただいた。
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上の画は、2014-01-09撮影で、塚の構造など調査完了後である。
塚の後方が間木戸U・X遺跡。
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これは、2013-6-29ほぼ同じ場所からの撮影。
・この坂少し登りて「的坂」とて山屋(山谷)田名部(豊間根)の追分なり・
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この奥のこんもりした小山が塚である。街道を挟み一対が造られている。
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すこし、歩を進めると。こんな感じである。
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すぐかたわらには、「エゴノキ」が咲いていた。この実はヤマガラの好物だ。
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構築物(塚)調査のため、付近は伐採されていた。
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東側塚は構造を診るため「司法解剖」されている。
その結果、当時の構築時の状態がほぼ維持され、「盛り土」は周辺の堆積した土
などが利用されていて、当然に付近は「縄文期」の遺跡もあることから、縄文の
土器片も含まれていた。
資料では、黒色土とマサ土が幾層にも重ねられていて、すべての層が水平になっ
ている。
間木戸ブログ10.jpg
一気に、塚を盛り上げる工法ではなく、一定の層まで土を積み、平坦に突き固め
てから次の層へと順次進み、塚を高くしたことが明らかになった。
 又、塚の中心部には巨岩を配し、これを芯として半円球状に土を積み上げた。
さらに、周囲には角礫(岩石の破片)をめぐらせて盛り土の流出を防いでいる。
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緻密な工法で構築された「一里塚」が一つ、三陸縦貫道の延伸で消えることになる。
幕府や藩の命令のもとに推し進められた一里塚、御上のお達しにより、その天命を全う
するか・・・・・・・後世に、伝えるため調査結果を記録保存していく方針だ・・・
jun.michimata











posted by 鯨と海の科学館 at 17:24| Comment(0) | 史・遺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月10日

至誠報徳のススメ

2012-10-08(月)
不動明王と荒神社を訪れた2012-10-03に立ち寄った。
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釜石市橋野町にある産直(橋野どんぐり市場)。県道35号沿いにある。そばには
水車小屋もあり景観は良好である。キノコ狙いで行ったのだがまだ雑キノコは
出されていなかった。ここは震災直後、遠野市を拠点とする沿岸(大槌・釜石)域
へのライフラインのバックアップやボランティアの皆さんのルート上にあるため
多くの方々が中継や休憩に立ち寄っていた。減少はしたが現在もこれは続いている。
まさしく「街道」の「驛」なのである。
065カキ皮むき器.jpg
発見したのは「カキの皮むき器」である。カキ食べ放題の牡蠣ではない。
木に実がなる柿で昨年は思いのほか豊作で干し柿に難儀した。
ゲットしようとしたが「要予約」とある。早速レジにて予約した。
2012-10-06に
納品可能との連絡アリ。本日8日午前は孫の保育園大運動会。
カメラマンを仰せつかりなんとか義務を果たし早速に受領にあがった。
※「皮むき器」の詳細は後日投稿することにする。
昼食時も過ぎてかなり空腹感がありこの町内の食堂が旧街道(35号)あるのは
知っていたがもう少し先の青ノ木地区にある「峠の茶屋」へ向かう。
 世界遺産を目指す「橋野高炉跡」へのすこし手前の県道沿いに十数年くらい
も前に「チョロギの里・青ノ木直売所」として発足したと記憶している。
当時は山菜やキノコの具沢山のソバを食したものだ。
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茶屋には数人の先客の方があり無料のお茶やコーヒーを頂いていた。(セルフです。)
壁にある「お品書き」をみると全て裏向きで、唯一あったカレーを所望した。
当然、先客には先にくる。なんとライスが「峠」状態で具はジャガイモ・ナス・ズッキーニ・ミョウガ・
定番の人参でビジタブル系である。ワクワクして十数分、ついにお出ましした「峠のカレー」シソの葉
が振りかけてあるサラダとイグチの仲間に栗の実が同居している小鉢。秋色だ・・・
食してみるとルーは県庁所在地にある某レストランにもヒケをとらない味であった。
飢えていたかもしれないが、ルッキングがまことにヨロシイ。食は見た目も重要である。
機会があったら寄って食してみる価値はあると感じる。但し、小生の後に来店された
お二人は数に限定があり「一杯のカケソバ」状態になったので出来れば予め予約が
必要カモ。 食後に店長でもあるオガサワラさんのお話を伺った。震災のお話やその後
の被災者の心情など・・・・
かつての「青ノ木パークランド」でのにぎわいがあった頃のこと・・・・
 当山田町の「家族旅行村」のパーク・・・・と同様の結末を辿ったことなどと重複する。
 来店のお礼を丁重に述べられて退店した。
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転進しての中村地区にある学校跡。
IMG_橋野小学校中村分校.JPG
校門の向こうに・・・
旧橋野村小学校中村分校がある。
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緩やかな登りを終えて・・・
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講堂・兼体育館か・・・・教室はこの裏側につづく。
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その校庭の左手に鎮座する。かの金治郎像である。
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その基部には至誠報徳とあった。
これには四つの意がある。至誠(真心)・勤労(熱心に働くこと)・分度(人の一定の基準・位置・立場・収入)
・推譲(自譲・他譲)にある。※詳しくは調べてほしい。
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後光がさしている。ある時代この容姿が「ながら族」と誤解され交通安全上の問題で
校舎から壊されたり撤去されたりして減少の一途をたどっている。
 携帯・アイポッドなどのほうがはるかに危険きまわりない。電車の中であれ、歩行中であれ
会話中であれ、遠くの情報は容易いが眼前の危険には疎い。津波が迫っていても視野に入らない。
ナドナド・・・子供に教えるべき大人の感度が時代ごとに異なってはコマル。
IMG_橋野小学校中村分校-9.JPG
と心でグゼリつつ校門にもどると・・・・・・
山の神・馬頭観世音・庚申塔(様)・の石塔が・・・・これらが「正しい導き」を
しているのかも知れない・・・・合掌  jun.m
 




 
posted by 鯨と海の科学館 at 20:23| Comment(0) | 史・遺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする