終えて「道の駅やまだ」にてランチタイムとなる。
一汗も二汗もかくと塩分がほしくなる。といふことで旬のメカブ入り
ワカメラ-メンとなった。上田君はチャーシュウともう一つのメニュウを
いとも簡単にたいらげる。
ランチを終えて小休止の後に織笠新田コース〜鯨山の東山麓の十文字分岐
を越えて大沢コースの調査第2ラウンドとなる。
当協会スタッフの車でスタート地点に着く。早速に写真をとカメラを探すも
無い・・・・午前の終了地点である小谷鳥海岸へ一服のときに置き忘れた。
ということで携帯電話での撮影のため画質は劣るのでご容赦を・・・・
2012-5-4アップした「鯨山」春の野草にて紹介した「牛頭天皇」のお社を
過ぎてまもなくの左手へのルートです。
すぐそばに鯨山登山コース織笠小学校と記された
道標がある。
やや先に進むと右手に農作業のための小屋らしきものがある。
その先をさらに進むとこのような林道をしばらく歩くこととなる。
やがて左手の小さな沢沿いに大きな石碑があらわれる。
明和二年 道供養林宗六世 二月廿八日 と彫られてある。
彼の道普請(ミチブシン)の異業はこの年を含めて山田地区だけでも四ケ所だ。
@宝暦十年(1,760年)船越村山之内の難所を開削。
A明和二年(1,765年)飯岡村から織笠に越える村境の坂板峠の難所の開削。
B 〃 このコ−スである織笠から新田峠を越えて大槌の大沢
にでる難所の開削。中道とも言れている。
※この碑が「茂兵ェの押立石」とも呼ばれて鞭牛碑のなかでは
最大であり縦横2メートルもある。
C 〃四年(1,767年)織笠川に架橋。この頃になると大槌〜吉里吉里〜四十八坂〜
船越〜織笠〜飯岡〜山田に通うルートができる。
※下線の坂板峠は後に「三本小松」とも称ばれるが境田の名の由来か。
独断で名を付けた十文字(推測では新田峠)を越えて林道を大沢という沢沿いをくだる。
10分位でこの林道を左に外れるとまさしく旧街道らしくなる。
さらに進むと前段の「押立石」にもヒケをとらない巨岩が屹立していた。
よく観察するも文字らしきものは彫られていないがルートの目印には
往古から役立っていたに違いない。
巨岩を過ぎ小さな流れを横切ると杉の林内へルートは続く。
林内はやや薄暗いが歩行には差し支えない。が・・・・・糞だ・・・・・
踏んではいけない。
林内にはルートを示す黄色のテープが杉に貼られているがその位置が高く
見落とす可能性もある。
エッチラ・オッチラ下ると再度林道(作業道)と出逢う。これは振り帰って撮った。
左の矢印は作業道のゲートを示す。一般者は歩行禁止である。
これをさらに下るとシイタケの栽培地をとおり青少年の家の真下にある
「船越第3仮設住宅」に着く。 山田町で「大沢」といふ地名は二つある。
ひとつは湾北部にある旧大沢村とここの沢の名称にもなっている。
現在も大槌町と山田町との行政区境界である。
この沢の流れは海へそそぎ第一種共同漁業権(漁具を海中に敷設しない
でウニ・アワビ・海藻の類を採る漁業を営む権利)ようするに磯漁業でもある。
大槌(吉里吉里)と山田町船越のこの権利の境でもある。
かつては、この沢が街道として利用されたのだ!
・・・・・・合掌・・・・・jun.m
※鞭牛和尚(林宗六世)に関する記述は山田町史(下巻)・同年表・(「牧庵鞭牛の生涯」
伊藤鱗市氏著)を引用した。
トレイル調査第3日(3/14)においても関連した発見があったので報告したい。
ドントハレ・・・


