2012年02月29日

郷土とむすぶ武蔵野より

1987年(元号で昭和の後半)発行のお手紙が年に数回、小生の父宛に届いていた。
開封はされていたが父はサラット眼をとおして「おまえも見ておけ」と言われた
記憶がある。おやじが他界して彼の古本や書類などの整理していて発見した。
 差出人は「小岩モモヨ」とある。おやじの恩師と教えられた記憶がある。
何通かを拝見して貴重な予感が現在でも抜けないでいる。
武蔵野とむすぶ.jpg
タイトルは「パクリ」となったことを陳謝願う。「モモヨ」様が連載で当方に
送付した一部の1頁目である。無学も文化だ。無学と「学」が無いのとは異質
なものであると心を打つ。昭和の初期は学びたくても学校へ行けない方もあった。
行くことができても「学」がない輩もある。・・・・・
武蔵野とむすぶ 001.jpg
2頁目からは山田湾の大島(オランダ島)の井戸について「清水」氏が纏めた
ものである。島の井戸の形成や植生そして島頂にある弁財天の由来について事細かく
纏めておられる。(若干推測も含まれるが。)
武蔵野とむすぶ 002.jpg
さらに、島の地質や井戸の集水面積など詳しく調べられており貴重な資料と考えられ
る。
2011-10-09オランダ島井戸.JPG
これは2011-10-09その大島の井戸の現状である。左奥にはブレスケンス号の記碑が
見える。井戸の蓋は鉄製に変わっているが小生が若い時は木製のものであったと記憶
している。推測するにバブルの絶頂期で一般市民から行政に危険であるからとのクレ
ームがあり強固な鉄製にしたものとおもわれる。
 当時この井戸の清掃をしませうという青年に「ソソノカサレテ」枯葉や空き缶など
の回収のため水中ポンプにて井戸水を汲み揚げて清掃をしたものだ。
 その青年こそ先般山田町へ宿坊を開設した「海太郎」氏である。携帯発電機や道楽
で使う船などたやすくあるわけではない。素行が不審だとか誤解されやすい彼であっ
たが「マビト」になった。ようだ。井戸に降下するのは小生の役目でその内側面は
足場となりやすい「グリ石」・・(径7寸から8寸の石)を積みあげた構造となって
いた。但し、コンクリートで補強されており歴史的には古いものとは思わなかった。
が、かつてはもっと素朴なつくりであったと考えられた。(但し緻密)
 あれから30数年経過しその外側(井戸の外側面)の構造が津波により暴露された。
井戸天端部はかなり大きな石で構成されており記録には無いがいつ頃改修されて
今日に至ったのか特定はできないでいる。これからの宿題か・・・・・
 一昨年から「三陸ジオパーク」構想がなされてきた。先般この山田も「鯨と海の
科学館」が被災遺構候補にあがった。この井戸もその「ジオサイト」として欲しい
ところである。思い込みかも知れないが地方の「宝」は眠っている。
 起こすのは地域の人かも知れない。
           ・・・・合掌・・・・jun.michimata

 

 
 

 



posted by 鯨と海の科学館 at 17:00| Comment(0) | 史・遺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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