十数年も無沙汰をしていた「滝」を観に行く。
「智芳秀全禅師」が山田町の大浦に入定する前に
立ち寄って、一時的に「すみか」としたそうな。

豊間根の馬鞍地区を過ぎて福士の手前に南川目
(宮古市)につながる林道分岐手前に石碑群が
あった。昭和の「大東亜戦争」慰霊碑と
明治の「日露戦争」紀念碑がある。
昭和碑には、芳賀氏、瀬川氏二名の陸軍病院で
の病死を慰霊している。
明治碑では陸軍歩兵上等兵の前田氏の戦死が刻ま
れていた。

戦死者の慰霊碑をみるたびに「憲法9条」の改正に
違和感を強く感じる・・・・・
と思いつつ先へ進む。

最終の民家そばの荒川1号橋を渡るとまもなく大きな堰堤
があらわれる。
魚道も整備されて「遡河性魚類」の繁殖保護に心配り
がなされていた。

以前にも観察された「オシドリ」を期待していたが、
幸運にも数組のカップルに出会う、この時期から
繁殖に入る。遠くから望遠鏡で観察する程度にし
てプレッシャーかけないことを願う。

霜地沢分岐を過ぎて20分、古い橋の橋脚(台)を発見した。
かつては、橋を架けてこの沢を直進していたか・・・

現在は右に迂回して対面方向へ道があった。

ズンズンと進む。三の橋ではイワナと出会う。
気温がやや高く、小さな羽虫を捕食していた。

ここまでは小さな倒木は、なんとか除いて進んで
来たが、遂にシャットダウン。
想定はしていたので「歩行」となる。
6ヶ所ほどの橋を渡り右手にあるのは「カロー沢
谷止め」。

さらに進むと・・・

堰堤が左手にある。かつて、ここでイワナを大漁した
記憶がよみがえる。その右岸の岩肌に「イワタケ」
がへばりついている。調理はたやすくないが食す
ことができる。

トコトコ歩き出して30分、南ノ又沢と大荒川(北ノ又沢)
の分岐に出た。ここまで、倒木を数か所くぐり抜けて進ん
で来たが、ラッキーなことに「鹿の角」に出会う。
あまりの感動で撮影していなかったので後日のものを
アップする。

この後、手に持って先を進むのも辛いのでひっそりと置き、
帰りに持参することにした。

南ノ又沢に入って残雪を見る。例年になく残雪は
極端に少ない。
隧道橋や「谷止め」を過ぎて念願の白糸ノ滝へ着く。
歩いて来た林道は、滝の真上を通っていて気づかなけ
れば通り過ぎてしまうが、その瀑布の音に注意してい
れぱokだ。
滝を見上げるかたちで観察するため、やや下流へ下り
渓流に降りて遡上する。

記憶をたどると、渓流釣りに来ていた場所。
下の分岐ではテントで一泊したものだ。

多久里の滝と比較すると、落差は低いが「おもむき」は
ある。
秀全禅師がこの付近を「棲」としていた・・・・・
衆生救済を望み、大浦の地で壮絶な最期(入定)を果たし
た彼の思いが凡人の小生にも伝わる・・・
この先の尾根を超えると大槌町金沢の小股口を北上し
た「高滝森」に出る・・・・・と思うがルートは不明だ。
かつては、杣人の道があったか・・・・
それは、イワナのみぞ知る・・・
・・・・合掌・・・・jun.m
白糸ノ滝ルート.pdf
白糸ノ滝へのルートです。