2014年01月24日

一里塚の行方

2013-12-25
巷では、メリークリスマスのLEDが華やかに輝いている。
この日、故あって山田町内の一里塚の一つである、「間木戸一里塚」の記録保存
の調査報告に参加させていただいた。
間木戸ブログ6.jpg
上の画は、2014-01-09撮影で、塚の構造など調査完了後である。
塚の後方が間木戸U・X遺跡。
間木戸ブログ1.jpg
これは、2013-6-29ほぼ同じ場所からの撮影。
・この坂少し登りて「的坂」とて山屋(山谷)田名部(豊間根)の追分なり・
間木戸ブログ3.jpg
この奥のこんもりした小山が塚である。街道を挟み一対が造られている。
間木戸ブログ4.jpg
すこし、歩を進めると。こんな感じである。
間木戸ブログ5.jpg
すぐかたわらには、「エゴノキ」が咲いていた。この実はヤマガラの好物だ。
間木戸ブログ7.jpg
構築物(塚)調査のため、付近は伐採されていた。
間木戸ブログ8.jpg
東側塚は構造を診るため「司法解剖」されている。
その結果、当時の構築時の状態がほぼ維持され、「盛り土」は周辺の堆積した土
などが利用されていて、当然に付近は「縄文期」の遺跡もあることから、縄文の
土器片も含まれていた。
資料では、黒色土とマサ土が幾層にも重ねられていて、すべての層が水平になっ
ている。
間木戸ブログ10.jpg
一気に、塚を盛り上げる工法ではなく、一定の層まで土を積み、平坦に突き固め
てから次の層へと順次進み、塚を高くしたことが明らかになった。
 又、塚の中心部には巨岩を配し、これを芯として半円球状に土を積み上げた。
さらに、周囲には角礫(岩石の破片)をめぐらせて盛り土の流出を防いでいる。
間木戸ブログ9.jpg
緻密な工法で構築された「一里塚」が一つ、三陸縦貫道の延伸で消えることになる。
幕府や藩の命令のもとに推し進められた一里塚、御上のお達しにより、その天命を全う
するか・・・・・・・後世に、伝えるため調査結果を記録保存していく方針だ・・・
jun.michimata











posted by 鯨と海の科学館 at 17:24| Comment(0) | 史・遺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする